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ピトケアン諸島(ピトケアンしょとう、Pitcairn Islands)は、南太平洋上に浮かぶイギリスの海外領土。ピトケアン島はじめ全部で5つの島から成り立っている。正式名称は Pitcairn Group of Islands。1767年、イギリス軍艦「スワロー」の士官候補生ロバート・ピトケアンが発見した。この島の周囲300kmには、他に人の住んでいる島は無い。この絶海の孤島に人が住み着くようになったのは、映画でも有名な「バウンティ号の反乱」がきっかけである。現在ピトケアン島に住んでいるのは、この反乱に参加した水兵の子孫達である。地理ピトケアン島をはじめとして、全部で5つの島から成り立っている。諸島といっても一番東のデュシー島から一番西のオエノ島まで500km以上の広がりがあり、その中に5つ島が散在しているだけである。ピトケアン島以外には人は住んでいないので、実質ピトケアン島がこの植民地の全てである。ピトケアン島は火山性(最高峰が355m)の面積4.50km2の南緯25度04分西経130度06分に位置する小さな島である。島の周囲は断崖絶壁に取り囲まれており、荒波が島を叩き寄せているため、岩がごろごろしている浜がほとんどである。その為、大型の船が島へ接岸するのは難しい。島の北部、海を見渡す丘の方にバウンティ号の反乱のリーダーであるフレッチャー・クリスチャンがいつも居たというクリスチャンケイブと呼ばれる洞窟がある。島の周囲にアダムズ・ロックとヤングス・ロックと言う岩石の小島がある。気候は亜熱帯海洋性で、7月から12月は雨季である。夏季は20-30度と温暖であるが、冬季には12度まで気温が下がることもある。 デュシー島 オエノ島 サンディ島 ヘンダーソン島歴史スペイン人がピトケアン島を発見した時には既に無人島であったが、15世紀頃までポリネシア人が住んでいた事が考古学的に明らかになっている。1767年、カートレット艦長とピトケアン士官候補生がピトケアン島を発見している。このことを知った1789年4月の「バウンティ号の反乱」者たちが1790年1月同島に上陸し、自給自足の生活を始めた。しかし反乱者とタヒチから連行してきた者との間でトラブルが起き、生き残った反乱者4人の間でも殺人が起き、1800年ごろには反乱者の最後の一人ジョン・アダムスと9人のタヒチ女性と19人の子どもが暮らしていたという。1814年イギリス船が同島を訪れ、反乱が発覚した。1825年に恩赦を与えられ同島で亡くなったアダムズの名前にちなみ「アダムスタウン」という町名が残されている。

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